久しぶりに、湯を沸かすほどの熱い愛を見ています。
この映画はほんっっとに泣けるんだよね…邦画で一番好きかもしれない。
いじめを受けている娘、安澄が「私はお母ちゃんとは違うよ。私は最下層の人間やから。」というシーンが特にグサリとやられてしまいました。
私もこうだった時期が長くて、ずっと一生普通には生きられない、迷惑をかけるだけで人間じゃないんだと強く思い続けてきたところがあったので、安澄の気持ちそして立ち向かう姿勢が響きました。
私は立ち向かえたのか?
自分をしっかり守ることが出来たのか?
というと、そうではないのかもしれません。
逃げも守りも出来なかったのかも。
でも、今こうして生きている。
出来ることがどんどん増えて、社会に貢献して生きられている。
それだけで本当に幸せ。
先日、長いことお付き合いした方とお別れをしました。
この人を全面的に信頼して結婚していいのかな、と思っていた反面結婚して浮気されても許せるくらい魅力的な人間、とも思ってたし。
毎日の楽しみ方を知ったこと、自己肯定感が低かった時期に出会って初めてちゃんと無条件に愛されたこと、何があったとしても消えないし良かったなぁと。
今はこのまま一生一人もいいな、と思ったり、人の影響がないと頑固で取り入れないタイプだしご飯は一緒に美味しいのを食べたいから誰かといたい、と思ったり。
誰か=男性、である必要もない。
おばさんでもおじさんでも同性でも中高生でもいい。
この映画みたいに、血のつながらない関係でバラバラの世代で集まってしゃぶしゃぶをしたい。
縛り合う関係性は違う。でも戻ってくる場所があるのは誰でも安心すると思う。
愛を継続させるための頑張りは人の一つの評価指数でも良いと思う。
そう、この前会った人がオダギリジョーの表情の作り方にそっくりだった。かっこよかったけど待ち合わせに遅れても謝るそぶりのなく、話しながらケータイ触るようなクズだったけどもっと知りたいなと思えた。
顔、髪型、好奇心、趣味、様々な人の良いところを知りながら、刺激を受けたい。
でも、クズとは絶対に付き合わない!
別れを繰り返しながら強く生きていく。
ワガママにね。